昭和49年03月03日 特別奉修委員会



 昨日、お芝居の本を見せて頂いておりましたら、あのお芝居の評論家の方が書いておる事の中に、こんな事が書いてあった。だから私は信心で頂き直してみたんです。特異にして、とくは特別の特ね、いは異なると書いてありますね、特異にして強烈な個性が失われ、何をやらせても平均以上の事を無難にこなすという、言わば優等生的な、役者ですけれど、此処では先生と書いてある。優等生的な先生が多くなった。現代は名人達人を、生み難い時代になったとある。
 昔の名優なんかっていうのは、もうその事だけに打ち込んだんですよね。あのう例えば、先代の雁次郎さんなんかは、金の計算ようしなかったって言うんですからね。もうただ、芸道一筋だけに打ち込んだと言う。まぁそう云う意味であのう私共もそれに類すると思うんですよね。やっぱり私どもは得意な存在だと思うんですよね。しかもなら強烈である者をもって、だから何も出来る、いかにも出来る先生にならなくてもいいと私は思うんですよね。人が助かる事さえ出来れば、という先生でなからなきゃいかん。
 なら是が、皆さんの場合でもそうですね。あれも出来る、是も出来ると云うような優等生的な、信者になる事はいらん。もう是だけはこの人の独壇場と言った様な者がね、愈々あのそれこそ名人達人と言われる位な、思われる位なおかげを表したいですね。まあ例えば、特にこうして特別奉修委員の方達の場合なんかは、何ともなしにそう云う特異なもの、または強烈なものを、持っておられる方だと思うんです、合楽では。
 ですからあの、そう言う所を、あのう一つ愈々強く打ち出して、まぁ行きたいと思うですね。まぁなら例えば此処に、居られる方の中に、例えばあの熊谷さんとか、安東さんとか、高島のお父さんなんかの場合なんかは、そう言う特異な、私は特異な存在だと思うですね。ね。だからそれに強烈なって者が伴うて来る時に、もう此の人に此の事だけは、此の人じゃなからな出来んと言った様な素晴らしい、言うならば人の助かる事の出来れる事の為の働きと言う物が出来ると思うんですよね。
 今のあの福岡の川上さんなんかでもやっぱり、そう言う感じですね。ですから是特別の奉修の、特別の御祈念でもする、さしてもらおうと、特別なと言う事になっとるのですから、私共が特別だろうかといって、思うて見なきゃいけんと思うですね。先程熊谷さんのお届けを聞かせて頂きましたら、もう本当にあのミカンが欲しいいなと思うたら、ミカンが集まって来ておる。お花が欲しいなぁと思うたら、お花を持ってその、入れる人までが来て、入れてくれる人までが来ておる。
 本当にあのこの頃は、思うた事がもうその場その場で、実現して行くというか、是は最近のお届けの、特異なあのーおかげの現われ方を、あの熊谷さんの上に感じるんですけれども、お金なんかでも、入る時に必要なお金がといったのが、もうそりゃずうっともう、しかも何十万って纏ったお金が入って来るんですね。思いも掛けない所からこう、入って来ると言った様な、その言うならばおかげを受けておる、今日私ご神前に出らして頂きましたら、あの矢の弓矢の稽古する時の的ですね。
 『的に矢』を頂いたんですよ。だから是はもう当たり矢と言う事です。ね。ですからあのお互いが一つ、当たり矢のおかげを受けなければいけません。それには中心と段々丸が書いて御座いましょう。だからそれを目当てに本当に信心の稽古をしていけんですね。問題はそしてその中心を射抜かす、百発百中射抜かせて頂くと言うような、おかげが私、当たり矢と思うんです。当たり矢のおかげだと思うんですね。ですから問題は稽古する以外にはないです。
 なら熊谷さんの何十年間の合楽での打ち込み方と言う物を、思うて見るといいです。どう言う風にして打ち込んで行かれたかと言う事をね。どうでも一つ皆さん、一人ひとりが一つ当たり矢になって頂きたいですね。もう只参りよります拝みよりますだけじゃいかんです。やっぱなら例えばなら、皆さんそう言うおかげの頂けれる合楽では、特異な存在なんです。だから強烈なものを持って居られるんです。
 ですから特異な、強烈なと言う物をです、本当に信心の稽古の焦点と言う物を置いといて、そして其処へ百発百中当たって行く様なおかげをね、あの頂いて貰たい。今日、皆さんに神様が下さるのは、当たり矢のおかげを、百発百中当たり矢のおかげをおかげを頂いてくれよと言う事だと思うんです。いきなり三八撃ってから、上達するはずが絶対ありません。其処に焦点を置いて、一つおかげを頂く例えば。
 熊谷さん方の様に本当に、あのう自分が欲しいと思う者が、集まって来ると言った様なですね、あの所のお繰り合わせを、まぁ日々頂いて居られる訳ですけれども、それにこう縁が遠いならね、まだ本当の言うならば、稽古してない。唯あれも覚え是も覚え、言わば優等生的なお話がでけたり、優等生的な信心が出来たんじゃだめ、それぞれの持っとる人の個性を、しかも強烈に、しかも信心で現して行く所にね、そう言うおかげを受けられると思うですね。
   どうぞ。